生い立ち③

心の痛い痛いの飛んでゆけ~ 世界中に少しでも明るい未来を…生い立ち

ど~も。ゆかっちです。 今回は、生い立ち②の続きかな…

父親の事もだけど、そのことと同時進行で色んな事があった。

15歳から付き合っていた彼氏とは境遇が似てたので、いつも一緒にいた。

でも、だんだん暴力を振るうようになった。

依存してたのもあってか、辛いし痛いんだけど、なかなか別れられなくて…

もう、いよいよダメかなと思い、別れた。

 

でも、1年間くらい別れていて、ある日突然、子犬を連れて家に来た。

父親が対応して、『誕生日だから』と言って置いて帰った。

飼ったことがなかったから困ったけど、ワンちゃんには罪はないし

育てることを決めた。 パグ犬で名前はパブ。 すっごく可愛くて癒される(*´ω`*)

それから、数ヶ月後、彼氏とよりを戻した。

それが、21歳くらいかな。 よりを戻してからは暴力もなかったし、23歳で結婚した。

24歳で長男くんを出産して27歳で長女ちゃんを出産した。

私は、家族に凄い憧れがあったから、子供もいて幸せになれると思っていた。

でも、現実は違った。 最初は良かったけど、趣味が多くて借金をしてまで趣味に没頭。

仕事を転々と変えてしまう。 だんだん、また暴力を振るい出した。

変わってくれたのかなと期待していた自分がいたけど、やっぱり性格もだけど

暴力もそう簡単に治る訳ないか・・・ そして、とうとう、きてしまった。

普段、別々の部屋に寝ていて、夜中に旦那に起こされ、今まで我慢していたものが

溢れ出たみたいに、暴言、殴る、蹴る、髪を掴まれ引きずられた・・・

そして、当時3歳だった長男くんの側にテレビを投げつけ『ガキなんかいらねーよ』

と言われた。 悲しかった・・・ 辛かった・・・ 痛かった・・・

でも、目が覚めた。 なんで、こんな男といるんだろうって・・・

すぐに、子供達とパブを連れ、車に乗り、家を出た。親戚の家に匿ってもらい、

今後を考えた。 叔母から『警察と役所に行きなさい』と言われた。

それは、わかっているんだけど、パブと離れたくなかった。

でも、そんなことは言ってられない。 警察署に行き、警察の方と家に行き

最低限の荷物を持ち、役所に行き、女性を保護するシェルターに行くことになった。

パブは、いとこが預かってくれるということで、少しの間、お願いした。

シェルターに行くと、誰とも連絡が取れない。 携帯も預けなくちゃいけなくて

後は、シェルターにいる間に、離婚の準備、家探し。

地元には戻れないし、自分の家族や親戚の家の近くには住めないのが原則。

1人で頑張るために必死だった。 本当は慰謝料や養育費も欲しかったけど、結局

旦那の親と旦那で、私の方の弁護士との話をするので、私はいない訳だから、

旦那達は言いたい放題で、弁護士は私の見方には、なってくれなかった。

私側の弁護士なはずなのに・・・

精神的に限界はきていたのもあってか、弁護士さんとまともに話はできないし

弁護士さんにお世話になるなんて、そうそうない訳で…

またしても、自分の味方はいないのかと、辛くなった。

でも唯一、救いだったのが、離婚届にすぐにサインをしてくれたこと。

ストーカーになられなくて良かった。

嫌がらせのように離婚をわざと拒むと思っていたから。

でも、念のために住所は、まず本籍地を役所にして住所変更をする。

そうすると、追跡されずに済む。 私とは他人になるが、子供に関しては

親権も名前を変えても父親には変わりはないため、住所など閲覧できてしまう。

そのためのワンクッションとして本籍地を役所にすると探されづらくなる。

そして、身内だろうと閲覧できないような手続きもする。

 

でも、おかしくない? ストーカーにもなり兼ねないし、探されて殺されるかもしれない

のに、でも、被害者が全部、その手続きをする。 しかも、地元で・・・

見つかったらどうしようとか、不安だった。

どうして、いつも弱い立場が苦労して苦しんで、下手したら殺されるかもしれなくて。

絶対におかしいよ。  でも、何とか、離婚は解決できた。 当時28歳。

 

その間も問題は発生する。

集団生活なので、子ども同士で風邪の移し合い、RSウイルスも移し合う。

酷いと入院にもなる。 ウチの子達は結局、入院することになった。

その間も子供達のお見舞い、家を探すために不動産屋に電話をして家を見せてもらう。

やっと、家を見つけて、シェルターから出る準備が整ってきた。

でも、入院したことで、1日、出る日が延びた。

次の日がきた。 預けていた携帯をもらうとメールが100件にもなっていた。

元旦那だったらどうしようと思いながら、1件1件見る。

幸い、元旦那のメールは少ししかなかった。 バスに乗り、最後の1件を見た。

愕然とした。 初めて神様を恨んだ。 心も身体も震えて、狂いそうになった・・・

いとこからのメールで『パブちゃんが死んじゃった。すぐに連絡下さい』だった。

本当は出る日だった。 『なんで、1日出る日が延びたの? なんで、死んだの?

どうして、その日じゃなきゃいけなかったの・・・』

死に目にも会えなかった。 元気な姿も見れなかった。

なんで、私ばっかり、こんな思いをするの? ずっとずっと、自問自答。

電車でいとこの家に向かっている間に、いとこからの電話。

出ちゃいけないのはわかるけど出た。 案の定、我慢していたものが溢れ出た…

子供のように、周りも気にせず、ワンワン大泣きしてしまった。

今でも、話した内容は思い出せない。

家につき、崩れ落ちた。 パブは洋服を着せてもらって毛布まで掛けてくれていた。

抱っこをして、抱きしめて、涙が止まらなくて、自分を責め続けた。

死因は心臓発作だった。 離れてた期間、結構な頻度で発作を起こしていたみたい。

結婚生活を送ってる時も、たまたま夜、私だけ家を空けた日があって、その日に限って

心臓発作を起こして、すぐに帰るということがあった。

火葬場を探して、最後のお別れをした。 大切なものを失うってこんなに辛いんだね。

こんなに苦しいんだね・・・ 遺骨を持って帰った。 涙が止まらない。

でも、わかった事がある。 (勝手な解釈ではあるが・・・)

生活が安定するまで、生活保護でお世話になるしかなかったから、多分、パブは、

悟って逝ってしまったのかなって・・・

 

そんなことや色々考えながらも、子供達の退院の日がきて迎えに行った。

その日から、子供達との新しい生活が始まった。

 

そして、今度は長女ちゃんの先天性の腎臓病の手術を1歳になる頃にやるために

電車で2時間かけて行くような、専門の大学病院に通いながら、手術に挑む。

(手術は元々決まっていた)1歳の長女ちゃんの手術を1人で待つ辛さ苦しさ、

パブを失ったばかりなのにまで失ったら…と色んな気持ちがグルグル頭をよぎる。

神様がいるとしたら、残酷だ・・・

今、書いているこの瞬間も思い出すと辛くなる。 涙が出る。

でも、手術は成功した。 先生には感謝、感謝、感謝、・・・しかない。

 

今、この瞬間にも傷ついてる人や子がいたり、亡くなってしまう人や子も、

私なんかよりももっと辛い体験をしている方もいると思う。

だから、いつもいつも考え続ける。 色んな事を考える。

考えることをやめてはいけない。と、思っている。

自分が人にできることなんて、ないのかもしれないけど。

でも、まずは目の前の家族から大事にしていきたい。目の前にいるのだから。

またも長くなりましたが、読んで下さり、ありがとうございます。

感謝の気持ちを込めて。

  パブの寂しかった気持ち、色んな人の心の痛み、飛んでゆけ~

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