ど~も。ゆかっちです。今回は、生い立ちのお話。
明るい話をしていきたいと思っていても、いろんな体験からブログを書くというのは色んな事を思い出して、つい感情が入ってきてしまいますね。
プロフィールにも書きましたが、そもそも人の力になりたいなんて、おこがましいよな~なんて思いながら・・・とりあえず、書こッ!!
小さい頃から、両親は特に子ども達の前では喧嘩をすることは少なかったと言いますか、あまり見たことがないです。私の中ではそれに違和感を覚えていて、それがいいとは思わなかったのです。結局は陰でしますよね。(度を越したのを見せるのは良くないけれど。)
子供も大人も同じ人間です。私は子供に見せていい喧嘩もあると思っています。だって、子供は子供で意見も考えもあるのです。そして、喧嘩を見いる子供たちに私や旦那が気づかされる事もあるのです。
影で喧嘩をされても、顔色を伺って生きている子は、すぐに色々気づきます。私はいつも子供ながらに辛かったし苦しかったです。
だから、私が大人になって子ども達の前で泣いてしまった時は、子ども達に『今は○○だから悲しい』とか『○○だから辛い』とかを伝えるようにしています。そうすると、子供ながらにアドバイスをくれたり勇気づけてくれます。それは4歳の次男くんでさえ。(気を遣わせているかしれないし負担にさせているかもしれないけれど)
でも、何も言われないままの方が子供ながらに心配して気を遣い、心苦しくなって顔色を伺うようになるのです。私はその分、たくさん子供と色んな話をするし聞くし、1人1人尊重するし褒めるのも大事だと思っています‼
話が飛びましたが、親の喧嘩のなさが後に、母親の失踪に繋がるのです。父親は、無口で何を考えているかわからない人で、子供達でさえ、毎日毎日、顔色を伺っていました。母のやることなすことに喧嘩ではなく、ただただ文句ばかりで・・・今でいうとハラスメント的な感じですかね。でも、本人は全然わからないんですよね・・・
子供ながらに母親の人格を否定している感じで、見ている私のが辛かったのを覚えています。でも、母はいつも何も言わずに我慢をしていました。
人って1人でもいいから、自分のことをちゃんと理解してくれたり味方でいてくれてるのがわかれば、頑張れるというか安心できると思うんですよね。でも、私には幼すぎました。力になることも出来ませんでした。それどころか私の心はいつも安定せず小学6年生でもよく泣いていた気がします。漠然とした不安、父親の態度がどうしても許せなかったのです。
夫婦だって喧嘩もするけれど、お互いに歩み寄りや色々と話をしたり喧嘩をする中で解かり合っていくものだと思っていて、ただ相手を否定したりしていい訳じゃないと思うのです。それを父親はわかっていなかったのかなと思います。
私にとって、1番の味方が母親だったのです。いじめられていた時も、たくさん話を聞いてくれて、学校にも『無理して行かなくていい』と言ってくれました。その言葉だけでも、私にとっては救われました。
でも、そんな心優しい母は、私や姉、当時5歳の弟を置いて失踪してしまいました。周りから見たら子供を置いていくなんてと理解はされないでしょう。私や姉も当時は恨みましたし寂しくて辛くて。でも、それよりも弟に辛い思いをさせちゃいけないと、必死に親代わりをしました。
きっと、父親と一緒にいるのが耐えられなくなったんだろうな。と思いました。その時は置いていかれたと思っていたけれど、1年後に見つかり家に帰ってきましたが、離婚しました。その時には『子ども達は置いていけ』と言われたそうです。でも、父親は私たちにそのことを伝えませんでした。なので、またおいて行かれたと思っていました。
その後は、確かに父親も頑張っていた部分もあると思います。でも、なんか違うのです。元々、仕事は定時に上がり残業はしません。私たちが弟を見ているのにしません。父は自分だけが辛い思いをして、悲劇のヒロイン的に周りに話すのです。1番傷ついてるのは子供なのに。そんなことは少しも考えたことはないと思います。
残業もせずに、でもお金欲しさに私名義で車を購入して、すぐに転売して現金を手にしたのです。でも、それは詐欺になります。訴えられましたが、母の失踪を上手く利用して取り下げられました。数年が経ち、父は自営業になり仕事が上手くいくようになると従業員と不倫。羽振りが良くなり、従業員達と料亭に行くことが多くなり、弟に対する育児放棄を始めました。出会い系サイトに騙され、挙句の果てに役所の人を殴り、留置されるのです。そして、お金もすぐに底をつきました。
でも、ぜ~んぶ私が尻拭いをするのです。私の携帯に電話がきて、洋服を持ってきてくださいとの事。なんで?なんで?・・・しかないです。
その頃には私も結婚して、わざと当時1歳だった長男くんを連れて警察署に行き、何かを感じ取ってくれると信じましたが、謝ることもなく『従業員が心配するから電話しておいて』でした。呆れました。そして、その時に出会い系サイトで騙されていて父が警察に相談していたのも知って警察や弁護士の方から『娘さん、大変ですね。』なんて言われました。凄い、惨めでした。情けなくて、怒りが込み上げてきて・・・その時に、父親と疎遠になる事を決めました。
留置されてる間に引っ越しを決めて弟も連れて引っ越しました。DV元旦那だったけど、引っ越しは快く了解してくれました。
母がいなくなったのが私が14歳。あれから10年が経っていました。複雑だったけれど母に会いたいと思うようになっていました。でも、自分が子供を産む度に、なぜ置いていけるのか?と、自問自答することもありました。
でも、なんかわかったような気がしました。置いていきたくなくても、置いていかなきゃいけないほど辛かったのだろうと、心がもたなかったのだろうと。追い詰められて、苦しんでいたんだよな~と思いました。
そう思ったら、許せるようになっていました。今回は、ここまで。
長くなりましたが、読んで下さり、ありがとうございます。
感謝の気持ちを込めて。
お母さんの心の痛い痛いの飛んでゆけ~
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